ベトサダとは?

「ベトサダ」は、クリスチャンであった創設者 眞鍋 千賀子さんによって名付けられました。

新約聖書・ヨハネ5章2-9節に、次のような言葉が書かれており、そこから意味をもってつけました。

「水が動く時に、誰も自分を池の中に入れてくれる人がいないのです。/ 私が行くうちに、ほかの人が先に降りていくのです。」この水というのは、エルサレムにある泉の事です。泉から湧く泉を浴びると心と身体を癒やされるという伝説に、多くの人が集まってくるのですが、「ベトサダ」は、この泉の名です。

最初の出会い

1997年、札幌駅にうずくまる野宿の姿をしたおじさんにわたしは出会いました。綺麗な駅舎・地下街の人通りの場所でその人は孤独にみえました。靴は裂け破れた靴下から汚れた指がみえました。わたしはこんなに困窮した人の姿に触れて魂がゆさぶられました。ホームレスと呼ばれるオジサンとの最初の出会いです。 彼らに声をかけ話しを聞き彼らの必要にこたえながら、たった一人の関わりから活動が始まりました。

活動の中で気づいたことは、食べ物、物を与えるだけで彼らのために解決にならないとい うことです。人が壊されていくような社会です。今日の社会の中で落ちこぼされてきた最も貧しい人達、ホームレスのおじさんが本音で話しているかどうか、ホントウは何をしてもらいたいのか。そういう部分で通じ合わないとオジサン達の抱えている一人ひとりの問題は解決しないということがわかりました。

今、ベトサダに辿り着くホームレスになった人の吐き出すことばは悲惨さそのものです。わたくしは、貧困と格差の現実を問題にしつつ、さらなる困窮、最貧困状態にある野宿者を支援することにこだわっています。

創設者 眞鍋 千賀子